この歌は、フランス革命政府によるオーストリアへの宣戦布告の知らせがストラスブールに届いた1792年4月25日から翌26日の夜にかけて、当地に駐屯していた工兵大尉ルージェ・ド・リールが出征する部隊を鼓舞するために、一夜にして作詞作曲したものである。
このとき付けられたタイトルは『ライン軍のための軍歌』 (Chant de guerre pour l'armée du Rhin) であった。リール大尉はこの曲を当時のライン方面軍司令官ニコラ・リュクネール元帥に献呈した。なお、現在7節あるうちの最後の節(「子供の歌」)は同年10月に付け加えられ、ジャン=バティスト・デュボワ、マリー=ジョゼフ・シェニエ、デュボワ神父の作だと言われている。
その後、テュイルリー宮襲撃の際、パリ入城を果たしたマルセイユ義勇軍によって歌われたのをきっかけとして、現在の『ラ・マルセイエーズ』という名前になり、さらに1795年7月14日には国歌となった。
第一帝政から王政復古にかけては、「暴君(専制君主)を倒せ」という内容であるために禁止されていたが、1830年の7月革命以降は晴れて解禁となり、第三共和制下で再び国歌に制定され、同年にベルリオーズが独唱者と二重合唱、オーケストラのための編曲を施した。第四共和政の「1946年憲法」、第五共和政の「1958年憲法」いずれにも『ラ・マルセイエーズ』を国歌として定める旨が明記されている。作曲からちょうど200年目の1992年のアルベールビルオリンピックの開会式では、一人の少女が一羽の鳩を空中に放ち「ラ・マルセイエーズ」を無伴奏で歌うという演出がなされた。
いたいけな少女の口から「聞こえるか?戦場で獰猛な兵士の怒号が。奴らは来る、 汝らの元に、喉を掻ききるため 汝らの子の」などと歌う光景はフランス人に衝撃を与え、国歌を変えようという議論が生まれるきっかけとなった。このように現在の国歌についてフランス国内では、歌詞または歌そのものを作り直そうという動きがたびたびあった。これは歌詞が子供に歌わせるには過激であり、また欧州統合の動きが進む現代に周辺国への敵意まるだしの歌を残すのは不適当という意見からのものであるが、けっきょく変更には至っていない。
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有名なメロディですが、歌詞は過激そのもの。
1番の歌詞でこれですよ。
栄光の時が来た
我らに対し 暴君の
血塗られた軍旗は 掲げられた
血塗られた軍旗は 掲げられた
聞こえるか 戦場で
獰猛な兵士の怒号が
奴らは来る 汝らの元に
喉を掻ききるため 汝らの子の
軍隊を 組織せよ
進め! 進め!
敵の汚れた血で
田畑を満たすまで
軍隊を 組織せよ
進め! 進め!
敵の汚れた血で
田畑を満たすまで
ジオン公国だってここまでではあるまいという過激さ。
アルベールビルオリンピックの開会式ではこれを少女が朗々と歌い上げるという。
芦田愛菜ちゃんがこれを歌ってるところを想像してごらんなさい。
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